節目の時に

久々に京都へ。仕事で、とかは時々あるけど
ちゃんと行くのは2年近くぶりかもしれない。
目的の一つはドアノー@何必館。
あああ人が多いいい!と思いながら。
人混み・コミュニティが激しく苦手な人間です…。
何回か、何必館にエリオット・アーウィットを見に行ったことがあるけど
ドアノーは初めて。
写真って、人柄が出るなあと思うと怖くもある。
やっぱり私は人物写真が好きだなあ。
子供を撮るときも、夫婦を撮るときも、芸術家を撮るときも、自然体なんだろう。
強烈にアピールする個性ではないかもしれないけど
そこに確かに存在していて、その温度が20年近く経っても残るって不思議。
写真集も買ってしまった…。
お昼代とユニクロのセーターと腕時計の電池代節約!

何必館に来たら、必ず常設の魯山人の展示も見に行く。
掲げてある魯山人の言葉を確認しに行くため。

-----
この世の中を少しずつでも美しくして行きたい。
私の仕事は、そのささやかな表れである。

人間なんで修行するのも同じことだろうが
自分の好きな道で修行できるくらい、ありがたいことはない。

人はいつ死んでも良いのである。
人はこの世に生まれて来て、
どれだけの仕事をしなければならないと、きまったわけのものでもない

分かる奴には一言いってもわかる
分からぬ奴にはどう言ったってわからぬ

芸術は計画とか作為を持たないもの
刻々と生まれ出てくるものである。
言葉を換えて言うなら、当意即妙の連続である。

-----

最初にこれを読んだのは、何必館に初めて来た7年近く前かなあ。
これを読む度に怒られているような気にもなる。
でも、「ああ、そうだそうだ」と毎回思うのです。
修行と言うとストイックな感じがするけど
成長を伴わないことに付随する浮ついた楽しさって、なんか違うわ、と思う。
間違ってるとは思わないけど、欲しいと思わない。


目的2つ目は下鴨神社。
私の一番のパワースポット…とおもってる。勝手に。
本当は新緑の時期が一番好きなんだけど。





紅葉は見頃になるのはもう少し先かも。まだ暑い時あるもんね。
気持ち的な節目や、環境の変化の節目には来たくなる。




今月に入り、色々なことを見つめ直したり
ここ数日で、新しい色々なことをインプットしたりで
なんとなく心の中がザワザワしていたので来てみた。

もともとが理屈っぽい性格なもんで、
何か嫌なことだったり感情的に揺さぶられることが起きても
「◯◯だから◯◯なんだよね」と理詰めで無理に自分の中に落とし込む習性があるのですが
それでは落とし込みきれないものについては、そのまま溜め込んでいて
それもなかなかしんどいので、もうそれも全部手放しちゃえの小旅行。

生きていて、人と関わったりしていると
嫌なことも良いことも蓄積されるけど
なにか起こった時の自分の選択肢って正解も不正解も無いんだと最近はとくに思う。
自分が選んだと思えるなら、後悔はきっとしない。
今まで得たもの・失ったもの、全て理由があって出入りしてるのだと
その時にはわからなくても、時間が経ってわかることもあるよねえ。
そうなると逆に、必要なもの不必要なものもわかるし
手元に残っているものがありがたく感じることもある。
「これでよかったなあ」と思えると、それがネガティブな出来事が起因していることでも
なんとなく幸せな気持ちになったりする…のは私だけか。



最近はなんでもかんでも
「もう、ええやん?」と言ってしまうのが、いいのか悪いのかw
ただのめんどくさがり。。

あれ…?

今年もひとつ、年を取りました。
これが去年の今頃の時期なのですが
…あれ…?
成長、してなくないか…?(;´Д`)ガーン
旅…には出たけどね、伊勢神宮にね。日帰りだけどね。。
 
いつもこの時期に近所の小さいレストランにご飯を食べに行って
ここ4年くらい?そこでパティシエとしても働いている女の人に
毎年ケーキを作ってもらっていたのですが、
来月でレストランをやめて、実家に帰って独立するとのこと。
今年で最後、と思うと寂しいけど…がんばれー☆彡
今年は中が紅茶のケーキでした。
「洋菓子の時間 micco」という名前が、
きっとそのうち世間に轟くことになるでしょう。
 
私自身も成長を促されているような気がする今日このごろ。
今はゆらゆら揺れていても、そのうちに流れに乗るようになるのかなと思う。
 
メアリー・ポピンズが好きなもんで、例えが例えとしていいんだかわかりませんが
東の風が吹いた時に現れる彼女のように、
必要なときに、必要な所へ収まるんだろうなあ、と思います。
なんだか例年よりも気持ち的に緩い気がするw

念を入れて、自分自身に忠告して

昨年まで3年程、アレクサンダーテクニークというメソッドを習いに行っていました。
教わっていた磯村恵子先生と出会ったときの私は
それまで持っていたものを失って、歌うことに対する意欲すらゼロでした。

そもそも、習いにいこうと思ったきっかけも「肩こりが治る」と、
当時アメリカに留学していて向こうでレッスンを受けていた友人から
教えてもらったからという単純なことでした。

恵子先生に初めて出会ったときから、驚きと気付きの連続で
悩みも色々聞いてもらいました。
自分が少しずつ変わっていくことが面白くて仕方なかった。
どれだけ自信がないときも、
「機会が与えられるのだから、どんどん歌いなさい」と言ってくれました。
「喋るの苦手なんだけどなー。恵子先生にはいっぱい喋っちゃう」と言うと
「それが本当の千明さんなのよ」と言ってくれました。
「先生、何歳なの…?」という質問には答えてもらえませんでしたw
大袈裟でなく、自分に出来る事が増えて人生が変わりました。

昨年8月末、体調を崩されて講座を休止すると主催者から連絡が入り、
心配でメールをしたときに
「お気持ちはしっかり受け取りました。再開するときはまた連絡するね」と返事が来て、
今に至ります。
その時には、再開することがないことを
ご自身でも分かってらっしゃったんだと思います。
昨日、既に亡くなられていたことを偶然知りました。

正直、恵子先生以外から教わる気が起きないけれど
教わったことは、ずっとこれからも活かしていこう、と思います。

レッスンが終わった後に時々ちまちまと書いていて、
そのノートや手帳を掘り返したので、見つかった物を下にメモっておく。
ノート自体を処分してしまっていたりで、かなり限定的なうえ、走り書きですが。
というか、記録は捨てたらだめだという事がわかったよ…!
今、習っている人の参考になるかな…。

ーーーーー

2010/12/1
また一つ、成長。
アレクサンダーテクニークのおかげ。

2010/12/15
「物を書く」時のポイントを教えてもらった。目からウロコ!!

2011/1/19
アレクサンダーテクニークで情報を色々得た。
バランスを取ることと、「自分が選択している」ことを意識すること。
何かをやらされている訳ではない。
そう思うと、自分からやれることが増える。

2011/2/2
アレクサンダーテクニークは気付きが多いな。
空間をもっと意識して。

2011/3/2
今日は会議で言いたいことが言えた。
すごい大きな1歩だと自分では思ってる。
恵子先生にも言われた。ありのままでいいんだって。

2011/3/16
やっぱり恵子先生は凄いと思う。気付きが多い。

2011/3/30
今日は「歩き方」を教わった。
「感謝する」のが大事なんだと実感した。

2011/4/6
アレクサンダーテクニークは面白いなあ。
自信を持ちたい。自分らしく生きられるようになりたい。

2011/4/20
やっぱり面白い。
恵子先生に会うと元気になれる。ゆっくり。焦らない。

2011/5/1
今日のテーマは「人前で話す」だった。
面白い。これはすぐに役に立つと思う。

2011/10/5
「人生の出来事には力強いポジティブな意味がある」
※自分の身に起きた全てのことについて、
自分がどんな意味を与えているかに注意する。
今日の収穫は「等身大の自分」。一生、歌っていく。

2011/11/2
「望み」と「選択」
・迷いをなくしたい。
・好きなことに自信を持って、ブレたり本当は好きじゃないのかも、と思うのをやめたい。
・罪悪感を感じるのをやめたい。
└→できるだけ、ポジティブな内容に言い換える。
自分自身への期待を持つ。
→そのために自分に対して何ができるのか。

2011/11/16
自分の恐れに向かい合う。
感情が設けた制限を意志の力で乗り越えることができる。
今のいい感じの波に乗りなさい、とのこと。自分の思うように。

2011/12/21
自分のことが少し分かったよ。
殻から出ようとしていて、安全な場所、自分でいられる場所はライブなんだということを
認めなければならないんだと思う。
自分が持っている物を出していきたいな。
人と違うことを認められるようになりたい。

2012/3/7
体の軸がどこを通っているかを教えてもらった。
体もすんごく後ろに曲がったー!
凄かった。自分は体が固いと思ってたから。
立ちやすくなったようなきがするなあ。
どんどん試してきたい。

2012/5/6
・部屋の外にも空間が広がっているのを意識する。
広い草原で歌っているように、草原の遠くにいる動物に聞こえるように。
・レッスン(ライブ)までの道程で、遠く、広くの感覚を意識する。
・どこまでも広がっているのを感じてから歌う。
・はじめは目の焦点が合わない感じがしても慣れてくると合ってくる。
・遠く、広くを意識すると息の入り方が変わってくる。(呼吸が深くなる)
・「無い物を出そうとしている」のではなく、
「本当は持っている物を無いと思いこんでいる」事に気づく。
「本当は持っている」。
今日のレッスンは凄かった。
息が深く入って歌いやすかったし、声が遠くにいく感じが凄くした。
アレクサンダーテクニークは面白い。自分の変化がよく分かる。

2012/6/6
今日も面白かった。
喋るときは空間を意識して、何人の人がいるのかを認識する。
「話すのが苦手」とか、話すときにダメ出しをするのをやめる。
ゆっくり話す。
電話に出るときは空間を意識した状態で出るようにする。
今日はゆがんだ写真を修整したりしていたので
目が合わなかったり、過度に緊張してたんだ。納得。
考えるときは「体全体」で考えるようにする。

2012/6/20
実際に、そう動かすのではなくて、意識するだけで変わる。
自分が注意したい方向に意識を向ける。

対話ってだいじ。

先日16日、バート・バカラック来日ツアー、
「An Evening With Burt Bacharach 2014」に行きました。



バカラック御大、来月で86歳…。
弾いたり歌ったり指揮したり、終始忙しそうで
「どちらかというと職人肌なんだなあ」と思って見ていました。
何よりねえ、本物のバカラックを70m程の距離で見ることができているのに涙。
YOUTUBEではなく本物やー!

ツアーには黒人の歌手3人連れてきていたのですが
自分が何故今までバカラックの曲をうまく歌えていなかったのか、
その理由がちょっとわかった気がしました。

もしも自分がバカラックなら、この曲を他人にどういう風に歌ってほしいだろう。
バカラック自身が歌う「Alfie」が世界で一番上手く聴こえるのも、こういう理由だと思う。
それを考えると、ディオンヌ・ワーウィックの偉大さも改めて実感…。
おそらく、バカラックの曲だけに限らないんだと思うけど
特に、指揮からアレンジから何からを自分でこなすバカラックならば尚更。

でもこういうのって意外と音楽だけに限ったことではなくて
色んなことに対しても同じことが言えるよね。。

私は仕事などのミスが少ないというのがちょっとした自負なのですが、
(時々びっくりするようなミスはあるけどw)
これって集中力がどうのというよりも、
「どうしたらどうなるか」を常にその対象もしくは自分に問い続けてるからかも。
ミスをする=自分の持つ違和感に対する感度が低い、のような気がします。
自分がどう感じるか。なにか引っかかることはないか。
大事なのは自分に問いかけることだなあ、と過去の経験から思う。

こういったことが必要な人と、そうでない人がいるようにも思うけど
どちらかというと、私はこういう能力を向上させることが必要な人間だと思う。

私は理系ではないものの、プログラミング的なものも割と好きなのですが
言語やシステムによっては、なかなか仲良くなりづらいものもあり
仲良くなりづらいのって多分、対話不足。
「あ、こういう風に書いてほしかったのね」
「あ、こういう風にしたら美しく見えるのね」的な。。
なので、プログラムとかコーディングの仕事をしてる人って
意外と情緒的なのではないかと思っています。

おそらく音楽でも同じことが言えるし、人間関係でも同じことが言えるのかも。
「ガーシュインとはなかなか仲良くなられへんわー…」とか、常に思ってるw
人間関係も、伝える手応えがある場合だけに力を注ぐという風にすると、だいぶ楽になりました。

でも、全然あかん!っていうのもあり。私の場合は計算関係です。。
繰り上がりの暗算とか、いまだにあかんもんね。
「べつに…なかよくなれなくても…いいです…」って思ってしまうw

自分ないしは他人と対話するって結構訓練が必要なもので
こういう面で、やっぱりセッションとかに行くと
「散弾銃で打つようなピアノを弾くのに、バラードでは繊細?!」とかって
相手が出したものに対して、どういうイメージが湧くかという訓練になるので
ああ、実生活に役に立ってるよ…と思うのです。

節目で会う人

布団族のニートと言っても、それなりに色々とあるのですが
裏表のある人と接するのがほんとに苦手になってきているということを強く感じる。
…というのも、音楽ってその人となりが曝け出されるので、隠しようがないのです。
「4ビートはあんなに攻撃的に弾くのに、バラードでは意外と繊細?!」とか
「この甘え上手め…!」とかw
よっぽど特徴があると、声の出し方とかでもわかったりするのです。
私はどういう風に思われているんだろう。

人は誰しも少なからず裏表はあるものだと思うけど
裏表の激しさだけ、自己防衛しているのかもしれないとも思う。
「真正面からぶつかる生き方のあなたはそれだけ強いんだよ」と言われたことがあるけれど
いい加減、よけ方を覚えたいですww

私が節目にいる時に、会う人がいる。
頻繁に連絡をとっているわけでもないし
考えると、逆に節目の時にしか会ってないかも。
会うと言っても、数分。
縁、としか言いようがない。
1年近く会っていなくても、それがついこの間のような雰囲気で
「久しぶりやん!どないしてんの!?」と言ってくれる。

節目の坂道を、私がえっちらおっちら渡り歩いている時に
「今日はいい天気やねー、たぶんこの方向でいいんやと思うわー。
この先、道が荒れてるらしいから気ぃつけてー」と言ってくれる人なんだと思う。
奥方も聡明でめっちゃいい人。
そういう風に接してくれる人達に出会えるのは
どれくらいの確率なんだろう、と最近よく考える。
そしてそれも、私が今まで遠回り人生を送ってこなければ
出会わなかったのかもしれない。

そう考えると、遠回りで得たものは大きいのかもしれないなあと思う。

きっとトイレだけではない

最近は家にいる時間(もとい、布団にいる時間)が格段に増えているので
今までなかなか読めずに置いていた本に手を付けたりしているのですが
何かを目で追うのがなんだかしんどくなっていて
本の内容がなかなか頭に入って来ないのが目下の悩み。
行間が広ければ読みやすいんだろうか。

どうも、動くものも最近苦手で、
ホームに入ってくる電車を目で追っていると、くらっとなります。
関係ないけど螺旋階段も苦手です。
「サングラス掛ければマシなんじゃない?」と言われますが
サングラスが全くもって似合わないので、どうしようか考え中。

最近時々、「歌ってる時に何を考えてるのか」と聞かれるのですが
割となにも考えていません。昔は色々と「不安」とか「怖い」とか考えてたけど
最近は無に近いです。特にライブなどのときは。

歌ってる最中はなにも考えていないのですが
歌う前に意識しているのが「空間の神様」のこと。
別に神様でなくて仏様でもいいのかもしれないんだけど
以前から「空間を意識する」というのは気をつけるようにしていたのですが
最近なにかで、空間にはどこであれ神様がいて
そこでなにかをするということは、空間を借りるのだという話を読んで
「ああ、なるほど!」とあっさりと腑に落ちました。どこで読んだんだろう…。

誰も居なさそうな家や部屋に入るときも
誰もいないのが分かっていても「おじゃましまーす」って言いたくなるというのも、納得。
ペパーミント・パティも教室の壁と喋るしね!
それからというもの、割と「おじゃましまーす」の感覚で歌っています。
それだけで、なんとなく色々と大丈夫だと思えたり…しないですかねw
神様でも仏様でもまっくろくろすけでも、味方は多いほうがいいよね、という話でした。

What The World Needs Now Is Love

やっと暖かくなって、また放浪しはじめる予感。

この2か月、色々見ていたけれど
「自分が残したいのは『家族の愛、絆』だ」という写真家と出会い
撮影の瞬間のためにどれだけの人間が動き、
その
『家族の愛、絆』に対して非常に論理的に考え、
どれだけの労力を費やし、努力を今迄してきているかということも目の当たりにして
自分の中で「うーん、どうなんだろう」と思っていたことに確信が持てたことが何よりの収穫。
私が過去やってきたこと、思ってきたことは
間違いではなかったのだ、とちょっと自信がつきました。

ー分の持っているものに対してどれだけ愛情を持ち、
∩蠎蠅飽情を持って接して、
0情を持ってそれを与えられるか

…ということ。
愛情と言っても色々あるけれど、何を求めているのか察する、
その1歩先に起こることを考えるというのも
普段の生活の中で、愛情だなと思う。でないと、ただのツールになってしまう。
そして、私の場合は自分の持っているものに対して
愛情を持つ価値があると認めること。
愛情って、何かを伸ばしたり、育てたりっていうことだろうなあ。

愛情といっても、ただ甘いだけではなくて時には嫌な思いもするし、
対他人の場合は厳しいことも言わないといけないし、ぶつからないといけないし
結構大変なもんですね ┐('〜`;)┌



今世界が必要としているのは、愛。
それは、この世界には僅かしかない唯一のもの。
今世界が必要としているのは、愛。
ほんの一部のためだけではなくて、世界中へ向けた愛。

 
たった2か月ちょっとだけど、その短い期間でこんな社会不適合人間に
「お前はセンスがある」「お前は賢い」
「1週間でも1ヶ月でも、できるだけ長くいてほしい」と言ってくれて、ありがとう。
早口が治らなくてごめんなさい。
そしてそんなこんなな話を聞いている電話口でも半分ほど聞き取れなかったのです。

やや落ち込んだりもするけれど、
ひとまずは自分の状態を立てなおーす。
 

食べるって大事。

ここ最近、自転車禁止令が出ているのですが
今日は暖かかったので愛チャリの汚れを拭いて出掛けて
同じくチャリに乗ってる子供と張り合って
勝ったはいいけど、激しく息切れ。これでもか!っていうくらい息切れ。
なんだろう、この敗北感…。

昨日から激しくチキン南蛮が食べたくなって1年振り?くらいに港町マザーへ。
ここの名物のチキン南蛮、すんごく美味しい。
お昼はいつもいっぱいで、ちょっと時間外して1人で行くと割とすんなり入れます。



マヨネーズ嫌いなんだけど、ここの自家製マヨネーズは食べられる。
レモン?お酢?がきいてるからかな。
スープついて、ごはんorパンおかわり自由で780円ですよ…!
甘辛たれがごはんととても合ってて、秒殺。あっという間に食べちゃう。
鶏肉ラブ。近所にあれば毎日行くのに!

最近の主食はじゃがりこかえびせんで
誰かと一緒にならまともに食べるけど、断然1人のことが多いので食生活ぐだぐだです。
なんかねー、外で食事すると残すことに罪悪感感じるので頑張って食べるんだけど
1人なら食べても食べなくても誰も何も言わないのでかなり適当です。

でも久々に自らがっつり食べました。
なんと+300円でデザートとドリンクが付くのですよ…!
今日は残念ながらパスしましたが、ここの自家製プリンも美味しい(人´∀`).☆.。
パンも自家製。すごいなあ…。

お店の雰囲気も「おしゃれな食堂」って感じなので
満席の時はガヤガヤしてるけど、それがまた良いです。
お店の人も威勢が良くて好き。ちょっとした声掛けで受ける印象変わるよね。
なんかねー、すごくアットホームでいいなあって行くたびいつも感じる。
最近、「居場所を探してるんだね」と言われることがちょくちょくあるんですが
こういうの、いいなあって思う瞬間が増えているように思うなー。

美味しくってしあわせー!(*´Д`*)と思いながらがっつり平らげて
同じように「めっちゃうまい!」って言ってる人達が周りにいて活気があって
お腹も心も満足して店を出て、これで780円!(そこかい)
払ったお金以上のものを持って帰るって、こういうことなのかなーって思う。
私も見習わねば。
払ってもらった以上のものを持って帰ってもらうというのは
とても大事なことだと思うのです。

ココのオーナー、バンドやってて昔ライブに行ったら偶然出てたことがあるんですが
今はレーベル?も立ち上げてるみたい。
キッチンにいるおとなしめの女の人、もしかしてドラムの人なのかなあ…。
めちゃめちゃかっこよかったんですよ。

美味しいご飯って、しあわせだなぁと食事の大切さを感じます。
次の日にはじゃがりこ生活に戻るんだけどw
いつか1000円のチキン南蛮+ハンバーグのランチを食べたい…!
デザートつきでね!

自分が何をするのか。

3年前の昨日は祖母が亡くなった日で、翌日は葬儀で朝からバタバタしていて
家に帰り、「やっと色々終わったねぇ…」と言ってソファーに腰掛け、
テレビを付けたら、津波で建物が流される映像が淡々と放送されていました。
一瞬それが、映画なのかドラマなのか
どこの国のものなのか全然わかりませんでした。

それから、「自分のやっていることは誰かの役に立っていることなんだろうか」と考えたりして
数カ月後、その時に働いていた会社を辞めることになります。
誰かの役に立っているという実感がなかったのかもしれないけれど
今考えるとそれ以前に、自分のためだという実感もなかったのかも。

「目の前の仕事をやること」は大事だと思うけれど
それは自分を活かしていて、初めて言えることなのかもしれないと思う今日この頃。
でないとただ単に自己犠牲にしかならないよね。
「あなたのために犠牲になった」と言われて嬉しい人はいるだろうか。

私もまだまだ手探り状態だけど、少しずつ糸口が見つかってきたように思います。
この時期はいつも、こうやって自分の現在地を確認する時期なのかも。今年は特に強制的w

自分も満たされ、できるだけたくさんの他の人にも
それをお裾分けできることが、なんやろなー。
答えは既に存在しているんだろうけど、気付いていないだけと思いたい。

よくばりといわれてもいいのだ。

ここ数日は体調もまだマシだったので
セッションに行ったり、連れて行ってもらったりでした。
なんか微妙に元気な時よりも行動してるんですがw
動けなかった分、抑圧されていたものがぽこーん!って出てる感じです。
ライブの日にちも決めてきてしまい、まだ増やそうとしているのですが
自分でも大丈夫かな、と思いつつ、大丈夫なんだろう、たぶん。

今までは、なにかをするためには、
なにかを諦めなければならないと思っていたのですが
最近は「どっちも!!」というのもアリなんだな、と思うようになってきました。
「コーヒーか紅茶か」みたいな選択の場合は「どちらが好きか」という質問になるけど。
(でもこれも、お金さえ払えば両方出してくれるよね)

「どっちも!!」というのが本来は可能なのに
ただ単に自分で制限をかけているだけなのかもしれない。
なので「自分が思っていることは真実なんだろうか」と考えなおすようになりました。
そして、「どっちも!!」と言えるようになると、なんとなく楽になったような気がします。
選択を迫られた時に迷う前に、「どっちも!!」と素直に言えるようにしよう。

体調崩してからというもの、落ち込んだり、
耳鼻科で補聴器云々の話が出たりで、ずもーん…としているなか
友人や音楽繋がりの人たちのお心遣いが特に身に沁みる今日このごろです。
この御恩はいつかきっと必ず、私らしい方法でお返しいたします(`・ω・´)ゞ

そうなると、私が何をしている時に喜んでくれる人の数が一番多いんだろうなあ。
そんなこんなな3月。


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2015.8.29.SAT
芦屋Left Alone
芦屋市東山町4-13
tel 0797-22-0171
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w/ Pf.大森一宏
Ba.井上歩

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